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看護学生支援センター

コンゴ民主共和国キンシャサ(総人口6000万人)の看護師総数は3千人弱です(人口22千人あたりに一人)。内乱で疲弊した国にあって、早急に看護師を養成する必要があります。プロジェクトを実施する首都キンシャサでは、地方から出てきて看護婦になろうとする人々の住環境がひどく、70年-80年代に建てられた寮の個室に、6-8人が住み、炊事は野外で行っている有様です。このプロジェクトでは看護学生の住環境を整備し、より適切な教育がうけられるように支援を行います。

◆実施主体: 
 看護学高等研究所(ISSI) (非営利法人 コンゴ文化開発センター(CECFOR)が設置する看護師養成の
 ための教育機関。2001年設立。看護学生数150人)

◆提携機関: 
 モンコーレ医療センター(アフリカで最先端の医療を提供する病院。1991年開設以来、年々評価が高ま
 り、今では、アフリカ中でも高い評価を得る医療施設になった。看護学高等研究所はこの施設に隣接して
 いる)

◆対象グループ: 
 看護師となるために勉強している女性

◆プロジェクト目標:
 看護学生が、清潔・安全な住環境で暮らしながら、適切な設備と教材の整った教育環境のもとで専門的及
 び人間的な能力開発を達成すること

◆主な活動:
 -50人の看護学生(主に地方出身者)が居住できる学生寮の設置
 -看護学生への研修プログラムの実施
 -周辺家族のための衛生プログラムの実施

◆支援者
 -EU加盟国による助成金
  スペイン マドリッド市及びナバラ県の連帯資金、イタリア・ロンバルディア州助成金
 -個人・法人の寄附
  日本からは地球ボランティア協会を通し、現在までに約500万円を支援しました。


現地の声

8年前に看護師のカンデラス・バレラ女史はある看護学校の運営を手伝うためにコンゴ民主共和国に渡りました。彼女は現在、キンシャサにあり、この国で最も評判の高い医療教育機関ISSI-Monkoleの運営にあったっています。以下は彼女との昨年の11月のインタビューをもとに作成した記事です。

スペインの複数の病院で得た経験と自信をもとに、スペイン人看護師カンデラス・バレラ女史がキンシャサ入りしたのは1997年9月だった。初めて目にしたのは、全く予想外の光景であった。「以前にテレビで見たアフリカの内戦地域の光景を想像して、あたりを見渡しました。しかし、悲しげな人は見かけませんでした。飛行場から車で20分程でしたが、朝の6時にもかかわらす、街には音楽が溢れ、人々は歌ったり踊ったりしていました。」
現地によりよく適応するため、また、開始しようとしていた看護学校の運営に役立つため、最初の1年は、キンシャサの5つの病院で看護婦として実地経験を積んだ。印象的だったのは、医療関係者の適応力の高さだった。
「最低限度の機材もなく、水道もないところでの仕事の仕方は信じられませんでした。この間、多くのことを学び、問題を近くから眺め、コンゴの看護師が直面する状況をよく把握することができました。ほとんどすべての医療施設は破壊されており、メンテナンスや建設は海外のNGOや開発機関にたよらなければならない有様でした。」
さらに一年、キンシャサ郊外のモンコーレ医療センターで働いた。この病院は1991年に開設され、現在40床の能力を持つ。将来は150床に拡大する計画である。「ここの目的は、住民に質の高い医療を提供することです。保健はもっとも優先されるべきことの一つですし、可能な限り良い条件を整え、より専門的に働くために全力をつくす必要があるのです。」

モンコーレ医療センターは、国が看護師を必要としていることを考え、看護学校を設置することに決め、フランスに協力を依頼した。プロジェクトは開始され、ISSI(看護学高等研究所)の設置する学校が1997年にオープンし20余名の女子を受け入れた。ISSIは可能な限り質の高い教育環境を整えることに心を砕いてきた。モンコーレ医療センターと言い、ISSI看護学校と言い、緊急避難的な措置で作られたものではなく、息の長い開発を狙いとしたものである。
1997年に教育省により認可を受けて以来、ISSIは国全体に照準を合わせてきた。現教育大臣Emile Ngoy Kasongoやコンゴ看護師協会は、この看護学校のことを機会あるごとに引き合いにだす。

看護学校の生徒は一人あたりかかる経費の半分(年300ユーロ)を支払うことになっている。しかし、多くの生徒の家庭には、支払能力がなく、奨学金を受けている。卒業生はキンシャサ及び国内の他地域にある医療機関で働いている。求人先は年毎に増している。卒業生の技術面のみならず、人間的な質の高さが評判となっているためだ。
生徒はキンシャサの病院で、インターンとして研修を積む。研修先からの評価は高く、特に学校が重点項目にしている保健、責任感、患者との関係に関しては申し分ないと言われている。
さらに1999年からISSIでは、一週間単位で現役看護師のための研修を行い始めた。このイニシャティブは歓迎され、学校の知名度が高まると共に受講希望者は増してきた。
現在一年生には54名がいる。技術面の養成はもとより、価値教育も取り入れ人間とは何かという面の教育に力を入れている。

コンゴでの生活条件は、先進国と大きくことなる。国民の大半がそうであるように、看護学生の住む所には、水道がない。電気の供給も停電が多く、無いに等しい状態だ。
パメラは看護学校3年生。彼女は戦争孤児だ。昨年は、お金が無かったため、休学して働くことを余儀なくされた。現在、復学したものの、彼女を経済的に助けると保証人は、国外に出稼ぎに行ってしまったため、パメラは勉強を続けるのが困難になっている。
2年生のマガリエは8人兄弟の長姉だ。父親は公務員だが、何ヶ月も給料が未払いの状況にある。母親には安定した収入があったのだが、年少の子が髄膜炎で死ぬと、父親は、おまえの責任だといって母親を追い出してしまった。マガリエは学費を払えず、幼い弟妹の世話のためにクラスを欠席し勉強もなかなかできない状態である。
国の状況は、こうした若い看護学生の生活に反映されている。グロリアの父は6年前にエイズで死に、母はエイズウイルスに感染している。彼女は9人兄弟の5番目。かろうじて一番上の兄が家にお金を入れてくれる。看護学校長は言う。「グロリアは大変かしこい子です。公立中等学校ではトップでした。この学校の1年目もクラスでトップの成績でした。彼女の家は学校から大変遠く、日当たりの悪い地区にあります。雨が降ると、家の隣の川があふれ出し、ボートで移動しなければなりません。おそらく本当のところは違うでしょうが、家々は都市計画を無視して建てられており、水路が無いため、こうした事が起こると言われています。」
もう一人の生徒、マグイは3年生だ。彼女の父は大統領のパイロットだったが、昨年、飛行機事故で行方不明になったままだ。死亡認定されていないために、母は年金を受け取れず、家賃や娘の学費は未払いのままだ。その上、マグイは、この国で頻繁に見られる鎌形赤血球貧血症を患っている。3人の兄弟はこの病気で他界した。最後に亡くなったのは18歳になる妹だった。昨年のことだった。母は一連の不幸で落ち込み、家を出た。現在、家事と弟妹の面倒を見ているのはマグイである。
これに似たケースは、一年生のラウレである。三人の妻を持ち医者であった父親はすでに他界した。彼女は3人兄弟の一番上である。母は、失業中。家は遠く、毎日6つのバスを乗り継いで学校に来る。入学が一年遅れたのは、その間、働いて学費と生活費をかせぐ必要があったからだ。
最後にカンデラス女史は強調する。「アフリカの話はいつも上手くいっていないことや、悲惨、痛みが強調されます。ここでも生徒達の困難について話しました。しかし、その訳は、困難を乗り越えようとする生徒達の意欲と、皆様の支援が役立っていることをお伝えしたいからです。」